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2011年10月26日 (水)

人形劇のこといろいろ考えたりしたこと

スペインの「プルチネラに乾杯」のこと
ヨーロッパの各地にある一人で立って人形を遣う小さな舞台。頭の上の部分が人形の舞台になっていて下から手を入れて人形を遣う、片手遣いというスタイル。この舞台の面白いところはその人形舞台の下の部分が影絵のスクリーンになっていて上の舞台とリンクしながら話がすすんでいくこと。ここは独自のスタイルだと思われます。
「プルチネラ」はイタリアで行われていた街頭人形劇で、風刺的、社会批判的な面をもっており、それを笑いに変えて多くの民衆に指示されている。
イギリスでは「パンチとジュディ」と何でも最後にはたたいてとばしてしまうパンチが主人公の人形劇がある。
ドイツでは「カスパー」フランスでは「ギニョオル」、チェコでは「カシュパーレク」などなど各国に同じようなキャラクターが存在している。
道化、狂言回しのような役回りをもっていて、民衆の本音をさらりと言ってのけるような痛快さがある。

私が「パンチとジュディ」のイギリスからの来日公演を見たのは1973年だった。パーシープレスという名人の上演で、痛快なテンポで笑いに包まれて終わった印象である。
主人公パンチは自分の気に入らないことは持っている棒で何でも、たたきとばしてしまうキャラクターである。子守をたのまれて赤ん坊が泣きやまないと、たたいてとばし、それをとがめる奥さんをたたきとばし、注意に来た警察官をたたきとばし、鬼(悪魔)が悪いおまえを食べるぞと言ってくれば、たたきとばし、ついに死神があらわれてお前は絞首刑だと首つり台を持ってくるすると、パンチはああだこうだと言って死神を絞首台につるしてしまう。
70年あたりの学生運動後の社会的な無力感や権力に抑圧された一般大衆にとっては残酷さよりも痛快さが光って見えていた。一番最近見たのは、2007年イギリスからきたロバート・スタイルズの上演した「パンチとジュディ」。赤ちゃん、奥さん、あたりのくだりでは、観客の反応はむしろ引き気味で、警察官でもあまり爽快感はないようで、あきらかに時代が変化していることを考えさせるものであった。
現実があまりにも残酷だったり、無関心だったりすることもあるだろう。たぶん抑圧されてはいるけど内容が変わってきているのだ。

人形劇はかわいい。罪のないような楽しい世界を描くと勝手に思いこまされてしまった感もあるかもしれない。その人形が暴力的な行動をすることは受け入れにくいのかとも思えた。
「プルチネラに乾杯」は同じようなパンチ劇の流れを持ちながら、現代的に修正できていて、現代にマッチしているところに感心した。

人形劇は子どもに向けた作品だけではない。むしろ大人が楽しむために作ることが多かった時代もある。子どもはそれをいっしょに見て楽しみ、大人になっていく。
日本の各地に伝わる手遣いの伝統人形芝居なども、狂言回しのようなキャラがいて、えらそうにしているだけのお侍を笑いものにしたり、理不尽なことに怒ったり、正義を全うするキャラクターを応援したりする。こんな芝居を近所の人たちと飲んだり食べたりしながら見るのはいかにも楽しいイベントなのだ。

人形を通してだからこそ表現できる内容があるのを知ってもらいたい。言いにくいことが言えたり、避けられてしまいそうな本音を言えたり、楽しいことを大声で言えたりなどなど、それがわかると人形劇はもっと魅力的で自分でも創ってみたい表現手段になるのかもしれません。

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